半沢直樹 リアルロスジェネ負け組レベルからの視点

あの視聴率40%を記録した大ヒットドラマ・半沢直樹が来年7年ぶりに復活するという。
何度も続編決定、否、絶望と憶測記事が繰り返し出て、既に6年の月日が経過した今年、もはや絶望と思われていたまさかの続編決定である。

最初にこのニュースを聞いた時は正直冷めた受け止め方をした。
「いまさら?」と。

だが、トレンディードラマを中心とした明るく軽快な風潮が主であった平成ドラマ界にあって、重厚でシリアスな刑事ドラマやアクションドラマが好みだった私には残念ながら合う作品が少なかった中、颯爽と登場した『半沢直樹』。重厚でスピーディーでわかりやすい展開で魅了し、続きが見たくてたまらないぐらいのめり込んだ。ここまで続きが見たくなった作品は学生時代の少年ジャンプの漫画以来だった。大人になってからのまさかの熱狂作品だけに、やはりまずは歓迎したい。

平成ドラマの話題を誰かと語ることがほとんどない私にとっては、日常会話の話題提供としても非常にありがたいことである。
これで若い連中とも半沢の話題で共通項が出来る。

だが、半沢直樹の世界と現実の私の世界とは大きなレベルの開きがある。
かつては私も中小企業の正社員として営業マンとして活動(“活躍”ではない)していただけあって、半沢の世界観を経験してきた。かなりスケールは小さいが。

その世界観とは「部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は部下の失敗」から始まるパワハラが横行する世界観である。

元々、気が小さくいじめられやすい性質を生まれ持った私にとっては、ただでさえ引っ込み思案で集団生活になじめないのに、その中で営業マンとして意地の悪い顧客と付き合い、交渉し、そして顧客の理不尽な要求を同じく意地悪な上司に了承させるというとてつもないハードルの高い日常業務であったのだ。

その結果、精神を病み、『半沢直樹』における近藤に近い状態となり、リーマンショックと同時に肩を強烈に叩かれ、放り出された。

“出向先”は自宅だったわけである。

近藤には半沢というこれ以上ない強力な親友がいたが、私にはそういった存在は皆無だった。
“一匹狼”ならぬ“一匹羊”にとって、牙も戦闘力も度胸もない無力な立場にとって、半沢みたいな“倍返し”は夢のまた夢。それでいて可愛げの無い性格で独りを好み、上司にゴマを上手く擦ってすり寄って好まれる芸当も出来なかったので“百倍返し”で放り出されたわけだ。

半沢は同僚や後輩からは慕われ、好かれるキャラだ。
つまり人間関係の構成スキルはかなり高い。
敵も多いが味方はそれ以上に多い。
十二分に組織と戦える戦闘力を兼ね備えている。

正直、ロスジェネ世代で私のように非正規社員として底辺を這いずり回っている男たちはコミュニケーション力が決定的に不足している割合が高いと思う。
コミュニケーション力とは、好感度も伴った力だ。

それは会話力とは似て非なる。
特に面白い会話をしなくても、愛想よく笑顔を見せなくても、極端な話何もしなくても人が寄ってきて、人が手を差し伸べてくる人間はいる。ドラえもんの「ニクメナイン」を飲んだような人間だ。

逆に人に気を使い挨拶をしまくり、常に腰が低くて面白い話をして笑顔を振りまいていても、人が寄り付かず、話しかけても人が「すっと」去っていく人間もいる。ドラえもんの「ムシスカン」を飲んだような人間だ。

後者が私だ。
人に言わせると「顔が朴念仁みたいで近寄りがたい。堅物みたいでつまらなさそう」とのこと。
そして何より「あがり症」であることも大きな要素だ。
人と対面すると緊張してしまいやすく、それは目上の人間や苦手タイプだとより顕著だ。

自分が緊張していると相手にもそれが伝わり、心地よくない空気が充満する。
リラックスしよう、しようと思えば思うほど緊張してしまう。
悲しい性分である。

これは生まれつきの悲劇だ。
努力でどうにかなる部分とどうにもならない部分がある。
「ムシスカン」を「ニクメナイン」に変えるにはかなりの困難が生じる。

私は人に好かれようとギャグを磨き、元々おとなしく消極的だった性格を敢えて積極的な行動と大声で笑いを取って人を笑わせることを実行した。

しかし「ニクメナイン人間」との決定的な違いは、私は常に笑わせ続けなければ人は去るが、「ニクメナイン人間」は別にそんな努力をしなくても人は勝手に寄ってきて、他人から笑いを提供されているのだ。

半沢直樹に話を戻そう。
半沢は元来は「ニクメナイン人間」であるが、持ち前の正義感の強さ、そして己の信念を貫かざるを得ない不器用さから、敵を作り、つい闘ってしまう。
しかし、人から好かれ信頼があるから、必ず味方が助太刀してくれるし、味方を作れる。

私が半沢になれることはもうないが、近づくとしたら信頼を上げるための努力がまず先決だろう。
堅物キャラでありながら信頼が薄い私だ。
つまりいい加減さがここにある。

植木等や高田純次の「好い加減」ではなく、だらしがないいい加減さだ。
これは治さないと致命的である。

そして笑い。これは相手が望んでいない笑いや盛り上がりを自分で勝手に作り上げ、独り舞台で空回りしているのではないかと思っている。

心地いい空気と無理に作り上げた笑いや盛り上がりは違う。
人が寄ってくる「ニクメナイン人間」は、心地よい空気を自然に作り上げているのだろう。

逆に「ムシスカン人間」は濁った汚い空気を醸し出している。自殺願望者以外に有毒ガスを吸いたがる人間はいないだだろう。

半沢直樹の話題がとんだレベルの話になった。
だが、ビジネスやサラリーマンの基本がコミュニケーション力なのだから、その原点である「人に好かれる力」「好感度」は非常に重要な要素だと思う。

人は独りで生きては行けない。
私は別ブログで「世捨て人」で生きていけるのか?という記事を書いたが、世捨て人で生きていくには経済力が不可欠だ。

もしくは人として生きることを放棄し、石器時代のような自然と共に生きていくか、だ。
それすら出来ない者が、人付き合いが苦手だからといって簡単に世捨て人になれるわけがない、ことが結論だ。

世捨て人と言っておきながらこうしてPC、スマホ、ネットといった文明の利器の力を借りてこうしてブログを作っている事自体が大矛盾なのだ。

私は半沢直樹の復活を喜ぶとともに、自分のコミュニケーション力をどう上げていけるかを半沢を見ながら試行錯誤していこうと思う。

それがロスジェネがアラフィフになって今後の老後も視野に入れた人生を充実させて生き抜く力を構築するか、にかかっているのだ。

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