虐待ニュースばかり

最近、虐待ニュースが連日のように流れている。
昨日は福岡県で母親が6歳坊やを蹴り上げる様子がツイッターに動画投稿され、母親が特定され逮捕された。

確かに百聞は一見にしかずだ。
動画を見て、子供が泣き叫ぶ様子が痛烈に胸に突き刺さる。

普通の感覚だとあの悲痛な叫び声で我に返る。
そして自分がやっていることに痛切に自己嫌悪に陥るだろう。

だが、この母親はどうやら動画を撮影し、投稿したという長男をも長年に亘って虐待していたらしい。
もう日常茶飯事の出来事だったんだろう。

救いといえば、この6歳児に怪我がなかったということだ。
つまり、手加減はしていたわけだ。

じゃあ手加減していればいいと言われればそうじゃない。
この行為に“愛情”が全く感じられないからだ。

親が子供に愛情がない時点で私はもう虐待状態だと受け取っている。

逆に、親が子供を涙ながらに自分が叩かれているのと同じ痛みを受けながら子供に痛みを教える叱咤は、虐待ではないと思う。

心がどこにあるか。
それを論じることが余りにも今の時代、なさすぎるような気がする。

このような事件が起こると決まり文句は
「同じ目に遭わせてやりたい」
「極刑を望みます」

よく言われるネットでの公開私刑だ。
先日の3歳の女の子を大火傷させてラップを巻いたままほったらかしでパチンコに行っていた母親のインスタも見た。

もう言いたい放題。
人間扱いじゃない。

確かに、やったことは許されない。
だが、誰もが心の中に”悪魔”は多かれ少なかれ持っている。
それを良心が、自制心が抑えているのだ。

それと道徳、倫理というもの。
学校で遥か昔、確かにそういう授業はあった。

だが私も恥ずかしながら「道徳」「倫理」という意味すらまともに考えなかった学生時代だった。

ただの授業としてぼけーっと聞いていただけ。
本当に心に入って行っていなかった。

私は子供にこうした教育を行うとしたら、実際に遭った事件を題材にし、一人一人に考えをきちんと発表させるなり書かせるなりするのが大切だと思う。

自発的に考えさせる。
教師から言われたから仕方なくやるのではない。

自分に置き換えてどうなのか、ということだ。

そして加害者の親は本当にどうしようもない人間なのか。
もしかしたら、いいところも優しいところもあったかもしれない。

だとしたら、彼らの悪魔をここまで引っ張り出したものは一体何なのか。

私自身の性格を言うと、普段はおとなしいが短気である。
この性格を自分で自覚しているものの、短気というところが自分でも怖い。

巷で問題になっている煽り運転。
何度も何度も運転中、カッとなったことがある。
何の得もない。ただ相手が危ない行為、失礼な行為をしたことが許せない。

実は日常、我々は数えきれないぐらい人から失礼なこと、腹の立つことをされている。
しかし、それをしょっちゅう怒っていることは不可能だ。
何故なら人の目があるからであり、そこで怒りを爆発させて暴行・暴言を吐けば犯罪者だ。

だから短気な人間も普段はずっと我慢し、猫を被っている。

おとなしくて優しいけど短気。
ここに虐待の鍵が一つ握られているような気がする。

小さな子供は弱く自分のストレスを発散できる対象だ。
弱くて常にストレスを抱えている親たちは、子供をサンドバック代わりにしているのだろう。

子供は泣くし、暴れるし、言うことも聞かない。
それが子供だ。
だが、その子供が自分の思い通りにならず、更にストレスを与えてくると、閉鎖された家の中で怒りを爆発させようが、即犯罪者になることはない。

リスクを限りなく抑えられ、自分の感情を爆発させることが出来る唯一の場所なのだ。

そのうちの何割かは、自己嫌悪に陥っていると信じたい。
だが、最初のうちは何度も自分に怒りを感じたが、毎日毎日同じことを繰り返していると、マヒしてくるのだろう。

「俺を、私をここまで怒らせるガキが悪い!」
「痛い思いをしたくなければおとなしく俺・私の言うことを聞け!」

という理屈だ。
独裁者の思想になってくるのかもしれない。

それでも、暴走する自分が恐ろしくて、実は誰かに止めてもらいたい毒親もいるだろう。
子供だけじゃなく、親もSOSをどこかで出しているのかもしれない。

子供が子供を産む時代。
精神が幼いまま大人になってしまう時代。

私自身もそうだが、幼稚な大人ばかりの時代になってしまった。
負の連鎖を今、出来る限り止めないと、虐待を受けた子供がまた自分の子供に同じことをしてしまう。

私は独身だが、結婚も子育てもきちんとできている人は尊敬する。
それぐらい難しく、多大な責任を負うことだからだ。

自分の管理もきちんとできないのに、人様の人生を左右するのが家庭を持つことだ。
ただこれだけは言っておこう。

どんなに未熟なものでも、愛情を置き忘れてはいけない。
人は過ちは犯す生き物だ。
公開私刑に酔っている人間が完璧なのだろうか。

簡単に「極刑」と口にする人たち。
そして人の失敗や甘えを許さず、簡単に自己責任論を振りかざし、世の中から抹殺するような勢いで批難する。

こういう人たちは愛情をきちんと自分の中のどこかにいつでも取り出せるようしまってあるのだろうか。
愛情は人に対する優しさ、労わりにもつながる。

虐待を許せない、やったやつは死ぬべきだ!
簡単に言うべき台詞ではない。
そんな単純な問題ではない。

虐待を受け、親から離された子供は、愛を失ってしまった子供達だ。
親から離された次の人生まで世間は心配してくれない。

怒ってばかりの鬼みたいな女でも大好きなお母さんだ。
誰にも代わることが出来ない、この世で唯一の、自分をお腹から産んでくれた人なのだ。

自分が叩かれ蹴られ暴言を吐かれ、そして愛情も注がれず。
それだけでも凄まじいダメージだ。
それでも母親といたい子たちは大勢いるだろう。

そのダメージを受けた上、更に親と永遠の別れになるかもしれないのだ。

児相がどうとか、警察がどうとか、それも重要だが、この子たちはこの先何十年も生きて行かねばならないのだ。

政治家先生も少子化問題どうとか言う前に、既に生まれてきている子供達を守ることをもっと真剣に考えないと本末転倒だろう。
私ら一般の大人たちみんなが、自分に手を当てながら考えていかねばならない大問題だ。

消費税を上げるのなら、こうした弱者たちを守るところにお金を優先して使ってほしい。
既にカネを持っている人たちのメタボな腹を更に満たすのだけは絶対に使ってほしくない。

新元号、東京オリンピックに浮かれるのもいいだろう。
だがお祭りばかりに目を取られ、今のこの国が抱えている課題に蓋をしたままでは、間違いなくこの国は衰退するだけだ。

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