ブッチャー引退

プロレス

アブドーラ・ザ・ブッチャーがついに引退した。
78歳。(83歳の説あり)

引退といっても車イスだから、動けなくなったからというプロレスならではの引退である。

しかしこの肥満体でしかもあのハードな流血や頭部への攻撃を受けまくってもまだ健在なのだから立派なものである。
レスラーはとかく早死する人が多い(ステロイドが流行した80年代以降のレスラーは特に)が、この世代はシンといい、ファンクス、マスカラスなどといい、薬物をやらずナチュナルに鍛えてきただけあって丈夫で長持ちだ。

さて、ジャイアント馬場の没後20年の追悼興行でもある。

馬場とブッチャー。
昨日の記事の力道山とブラッシー、猪木とシンに該当するライバル関係である。

ただ、馬場とブッチャーは前者二つの因縁とはちょっと違う。

何が違うか。

それは二人が対戦するとほぼ流血はヒールであるブッチャーの方がするのだ。
普通、流血はベビーフェイス(善玉)がヒールの反則攻撃を受けてするもの。
それがブッチャーの場合は9割方まず自分が流血する。

あのギザギザの凄まじい深い傷跡を見れば一目瞭然だ。
500円玉が差し込まれて立つという猛烈な深さ。広げると骨の継ぎ目まで見えるという。

この傷は74年から75年にかけて負ったもの。
試合で相手に傷つけられたものもあるが、大半は自らカットしているらしい。

ブッチャーは黒人だ。よって昔から差別はかなり受けてきた。
同じ黒人のボボ・ブラジルは人格者と言われ、白人からも尊敬されてきたがそれでも差別はあった。
ヒールであるブッチャーがかなりキツイ扱いを受けたことは想像に難くない。

ブッチャーが初来日した1970年は無名だった。当初はエースではなかったのに、エースのカール・ハイジンガーを喰うような桁外れの場外乱闘で一躍トップとなり、馬場のインターナショナルヘビーに挑戦するという大抜擢。これは異例と言える。

今改めて当時の映像・画像を見ると、スマートだし額に傷もない。
つまりデブで傷だらけというブッチャーのキャラクターがまだ確立していない。
それだけに本人もいかにして売れるか、チャンスを日本で掴むか、ハングリー精神が凄まじかったに違いない。

強弱で格が決まるものではないプロレスにおいて、何が重要視されるかといえば集客力である。
ブッチャーは生きた鶏をそのまま食べるなどの奇行パフォーマンスをしたり、英語がわからない魔人のような不気味なキャラでまさに怪物といえる存在だった。

その不気味な男が狂乱ファイトで自分がまず大流血し、そして相手レスラーをも血だるまにする。場外乱闘もそれまでのヒールはせいぜいリングサイドで暴れるぐらいだったが、ブッチャーは会場の隅、時には二階席まで雪崩れ込んで大暴れする。

これはファンにとっては大サービスだ。
怒声とヤジ、悲鳴が飛び交う場内だが、怒りながらも楽しんでいるのがプロレスだ。
私もブッチャーではなくシンの試合を立ち見で行ったが、場外乱闘で椅子もめちゃくちゃに大暴れしてくれると、もうリングサイド席だろうが立ち見だろうが関係ない。

本当にライブ感がたっぷりあるイベントだ。極悪ヒールの試合は、テレビ観戦よりも会場で生で見る方が何十倍も面白い。
その筆頭格がブッチャーだったわけだ。

ディック・ザ・ブルーザーやフリッツ・フォン・エリックなど、ブッチャー以前の何度か来日していた60年代の超大物ヒール達をたちまちブッチャーは喰った。
初来日で一気にエースに自らの力で格上げしたブッチャーは、翌年(71年)のワールドリーグ戦にも参戦した。

そこでのエース外人はあのデストロイヤーであり、❝殺人鬼❞キラー・カール・コックスであった。
特にコックスはブレーンバスターの元祖であり、これまでも馬場と幾多の死闘を展開した大物だが、同時に彼はリングネームのイニシャルKKKとかけてクー・クラックス・クランのメンバーというギミックで売っていた。

つまり、人種差別主義者キャラというヒールなのだ。
今の時代では到底認められないキャラだが、昭和の昔はナチギミックや、日系レスラーの神風特攻隊ギミックなど、戦争をモチーフとしたかなりきわどく差別的なギミックが普通に横行していた。

そのコックスだが、後に81年に新日本プロレスのリングでブッチャーとトラブルを起こすディック・マードックと師弟関係にあった。
マードックの垂直落下式ブレーンバスターはコックス直伝なのである。

そんなコックスだ。ギミックとはいえ、人種差別主義的な傾向はかなり強かったと故・竹内宏介氏も著書で述べている。
コックスとブッチャーは空港でもみ合いの喧嘩騒動を起こし、仲裁にデストロイヤーが入った。

これはプロレス式のパフォーマンスだったかもしれないが、実際にリング上で外人同士が対戦することはこの当時の日本プロレスではありえないことだったから、わざわざ因縁を作る必要はない。

とすると、これは本当の喧嘩だった可能性がある。後にブッチャーと全日本プロレスのリング上で血の抗争を繰り広げるデストロイヤーが仲裁というのも因縁だ。

これは何を意味するか。
プロレスとは信頼関係が重要だ。信頼関係がない者同士がやると、思わぬ大事故が起こる可能性がある。
本当に仲が悪い同士がやると危険なのだ。

さて、全日本プロレスでブッチャーがライバルとなったのは当然、日本プロレス時代からの因縁の馬場だが、馬場はブッチャーの因縁作りの巧さに目をつけていた。
ブッチャーは自分とやるのもいいが、外人同士の方がヒートした試合が出来るのではないか?

それがわかったのは日本陣営入りしていた❝白覆面の魔王❞ザ・デストロイヤーとの一戦だった。
あの白覆面が真っ赤に染まるぐらい大流血させられたデストロイヤーは、報復で凶器入り頭突きやビール瓶攻撃でブッチャーを大流血させ、壮絶な構想を繰り広げた。ブッチャーが指から火を吹いたこともあった。

デストロイヤー戦でのヒートぶりを機にブッチャーは75年のオープン選手権からドリー・ファンク・ジュニアやハリー・レイスなど大物外人とも因縁を次々と作っていった。
まさに全日本プロレスはブッチャーがエースといってもいい状況だった。

ヒールがエース・・・。そしてベビーフェイスと抗争する。
それまでの日本マット界にはない発想だった。

そしてそれが爆発したのが77年のファンクス戦、テリーに突き立てたフォーク攻撃だ。
あの瞬間、テリー・ファンクが日本でナンバーワンの外国人アイドルレスラーとなった。
その立役者はブッチャーなのである。

大ヒールがベビーフェイスを引き立てることは常識だ。
だが、大ヒールが自らも人気者となってベビーフェイスと抗争するのはブッチャーが初だ。
というより、ブッチャー以外に誰も見当たらない。

フレッド・ブラッシーにせよ、ザ・シークにせよ、タイガー・ジェット・シンにせよ、自分が憎まれることは共通している。
だが、ブッチャーみたいに愛される極悪ヒールというのは、狙ってできるものではない。

テリーにフォークを突き立てた77年当時は、まだブッチャーは「愛されて」はいなかった。
人気といっても悪の人気である。
ブッチャーがやられる姿を見たい、という、最近では亀田一家みたいなヒール人気だ。

それが79年辺りから様子が変わってきた。
妙に愛嬌があるブッチャーの素振りや外見にファンがだんだん親近感を覚えるようになってきたのだ。

これは不思議な現象だった。
あれだけアイドルのテリーに残虐な攻撃をしているのに、ファンは馬場・鶴田よりブッチャーに声援を送るようになっていたのだ。

逆にいえば、馬場・鶴田はこの時「空気」だった。
ファンが見たいのはファンクスvsブッチャー&シークであり、馬場・鶴田は「どうでもいい」存在だったのだ。

全日本プロレスのオーナーである馬場とすれば複雑な心境だったろう。
テリーとブッチャーの抗争が人気になることは全日本プロレスにとってはいいことだ。(実際はギャラが高すぎて採算が苦しかった)
しかし、その代償にエースである自分の人気が失われてしまった。

昭和の伝説の大ヒール、ブッチャーについてはまだまだ語り足りない。
またの機会に、ブッチャーについて語ろう。

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