ギャグ漫画家・鳥山明を潰したドラゴンボール

漫画論

ドラゴンボールと言えば、今やアラフィフ以下の年代で知らない人はほぼいないほど未だに根強いスーパー人気を誇っている漫画作品である。
 
一般的にドラゴンボールといえば、どんなキャラを思い浮かべますか?と質問したら、「ベジータ」「フリーザ」「ピッコロ」「セル」「魔人ブゥ」などを挙げる人も多いと思う。

だが、私の見方は違う。
「超サイヤ人」という設定になった時点で、ドラゴンボールは違う作品になってしまった、と。

少年ジャンプはバトル漫画が主流だ。
ドラゴンボールも多分に漏れずバトル漫画の代表格だが、元々はギャグ要素が入った西遊記のパロディーの冒険活劇だった。

どんな作品でも長期連載となると、初期とはまるで別の漫画のように変化するのは珍しくないがこのドラゴンボールの変化はかなり激しかった。

初期は前作・Dr.スランプの雰囲気が色濃く残っているほのぼのギャグ要素がかなり強かったが、この頃は正直人気の面で苦戦していたみたいだ。

恋愛モノが苦手の鳥山は、ヒロインのブルマは敢えて悟空と恋愛関係にせず、気が強い派手なギャル仲間という位置づけで、悟空とブルマのコンビで物語が展開していった。

5分だけ化けれるという豚キャラ・ウーロンも加わって、アラレちゃん的世界を展開していった。
亀仙人もスケベで派手なファンキージジイという感じで、後年のようなシリアスさはほとんどなし。

このほのぼの感が私は読んでいて心地よかった。

しかし人気がないということで、バトル路線が本格化した。

意地悪なクリリンが加入し、亀仙人の弟子となって修行するも、北斗の拳のようなシリアスさはさっぱりなく、同じギャグからバトル路線に展開していったキン肉マン以上にマヌケなギャグの要素がまだまだ強かった。

このクリリンは悟空の親友で人格者というイメージが強いが、初期は意地悪な悪役だった。
絶えずズルをすることばかり考えており、素直な悟空を騙してばかりいた。

この身近な悪役の魅力は大きい。私としてはクリリンはずっと意地悪キャラでいてほしかった。
ジャンプのバトル漫画は敵が改心して味方になるケースが多いが、クリリンは悟空の親友というより、「戦友」のポジションが似合っていた。

卑怯な真似をするが最後は痛い目にあい、反省する。
しかしまた懲りずに悟空に嫌がらせをする。

「ゲゲゲの鬼太郎」のネズミ男に近いポジションだ。
ピッコロ大魔法復活の時に暗躍したピラフみたいに、弱くても存在感が増す。

クリリンがいいヤツになって準主役のような人気を得たが、意地悪なまま成長していって悟空のライバルとなっていく卑劣な友達の世界もまた面白かったろう。

話をドラゴンボール全体の流れに戻そう。
バトル路線に乗ってからシリアスな敵も数々登場したが、それでもギャグ要素は欠かさず、よって弱い雑魚キャラの個性も生きていた。

それがピッコロ大魔王が登場した頃から、シリアル度が一気に増す。
鳥山はピッコロがドラゴンボール最終章と考えていたらしい。

まだこの頃はピラフのような小悪党の役割もちゃんとあり、存在感を醸し出せていた。
それがピッコロを倒し、悟空が成長した頃から強さのインフレがひどくなっていく。

チビで少年(というより幼児)の天真爛漫な悟空が超人的な強さだったから私としては異色のバトル漫画としての魅力を感じていた。
敵も非人間型のタイプばかりで、動物や怪獣型のキャラを描くのが天才的に巧い鳥山の腕がかなり冴えわたっていたが、それがベジータやフリーザが登場したことで一気に狂い咲きする。

小中学生の子供にとっては、北斗の拳のようなシリアスなバトル路線が好みである。
それが超サイヤ人という設定が取り入れられたことで、カッコよさが激増し、ドラゴンボールは宇宙を舞台にしたスーパーバトル漫画となっていく。

そして強さのインフレである。
キン肉マンの「超人強度」と同じく、「戦闘力」という強さに数値データーを取り入れてしまったのだ。

そうするとキャラの実力も数値で固定化されてしまい、番狂わせも描きにくくなる。
そして何より、「弱いキャラ」が生きてこなくなってしまったのだ。

もっといえば、ストーリー性が大幅にスポイルされてしまった。
もはや、戦闘シーンさえ載せれば作品が成立してしまう形となってしまった。

ボスが倒されればさらに強い奴が登場する。というか、登場させないともう展開が不可能になってしまった。

私はもうこの頃、ドラゴンボールから離れていた。周囲の熱狂の声を聞きながら。

いつの間にか、ドラゴンボールは終わっていた。
その時、Dr.スランプや天真爛漫の悟空のほのぼのギャグワールドは鳥山のペン先から完全に消えていた。

鳥山はかくして、ドラゴンボールで億万長者になった。
もう一生働かなくてもいいだろう。資産は十億単位か、もしかして百億単位か?

質素な生活をしていそうな鳥山に、それ以上のカネは必要はあまりないかもしれない。
そして非人間的キャラのギャグマンガを描かせたらピカイチだった鳥山は、巨額の富と名誉を得る代わりに、そのセンスを失ってしまっていた。

どうなのだろう、漫画を描くのがそこまで好きでなかったら、これほど大成功の人生はないと思う。
しかし、手塚治虫のように、アニメ制作、漫画制作自体が「人生最大の目標であり、最大の趣味」であれば、このセンスを失ったことはかなりの損失だと思う。

鳥山個人という単位じゃなく、日本漫画界としても、鳥山の次の大ヒット作品がほぼ永遠に見られないというのは大変な損失だ。

仮の話をするのは野暮だが、もしピッコロ編でドラゴンボールを予定通り終了させていたら、第三のヒット作品が生まれていたかもしれない。

ただそのヒット作も含めた三作合わせても、今に至るドラゴンボール以上の評価も、そして鳥山自身の収入も得ることは難しかったことは想像できる。

鳥山のギャグワールド第三のヒット作品を見てみたかった。
そして、あのほのぼのとしたチビキャラ達が画面いっぱいに大暴れしているドラゴンボールのスピンオフもまた見てみたかった。

こういったバトル漫画は連載とともに変化する。
Dr.スランプのように一話完結型のギャグはほとんど世界観が変わらない。

どちらが鳥山にとって、いや、漫画界にとって良かったのだろうか?

コメント