Gメン75 草野刑事こと倉田保昭について語ろう

Gメン75

Gメン75において、草野刑事こと倉田保昭の役割は重要だった。
主役でありながら9割室内のシーンで「行ってこい!」だけの命令しかなかった黒木哲也警視役の丹波哲郎と違い、とにかく走って飛んで殴って蹴るという大活劇を繰り広げた日本屈指のアクション俳優である。

元々、Gメン75の前身であるキイハンターには千葉真一がアクションスターとして確固たる地位を築いていた。ここでも主役でありボスでもあった丹波哲郎演じる黒木鉄也(「鉄」だけGメンと違う)を喰うほどの人気であったという。

こうした流れでGメン75も「東映アクション路線」と言われるが、正直Gメンはアクションが少ない。

せっかく香港でアクションスターとなって凱旋帰国した倉田保昭をメンバーに加入させたのに、彼がアクションを披露するシーンはほとんどなかった。


これは荒唐無稽で自由度が高かったキイハンターと違い、Gメンはリアリティーを追及する作風になっていったからである。

初期でこそ「潜入捜査班」として自由気ままに動き回っていた感があるGメンだったが、徐々に方向性が「警察の中の警察」という形に固まってきていた。警察の不祥事をGメンが極秘に捜査するという展開である。これは76年にかなり強固な形となってGメンのイメージとなっていった。

そんな作風だから自然と地味な展開が多くなってくる。それでいて撮影はハードスケジュール。
恐らく、倉田氏も空手のトレーニングに割く時間はGメン時代は大幅に減っていたのだと思う。
78年辺りからは腹も出てきて体重もかなり増えた印象ですらある。

そんなアクション不在のGメンだったが、77年に大きな転機が訪れる。
メンバーの大幅チェンジである。

76年のGメンは正月に33話で降板(殉職)した原田大二郎を除いた初代メンバー6人でやっていた。
当初は原田の後釜に特捜最前線でも御なじみでGメンにも何度かゲスト出演している横光克彦を予定しており、OPシーンも収録したのだが、ここで近藤プロデューサーとトラブルが起き、彼のレギュラー入りは白紙になってしまったのだ。

横光のGメンはぜひ見てみたかったが、そうなると若林豪演ずる立花警部補の出番がもしかしてなかったかもしれない。そう考えるとやはりこれは運命だったのだろう。

話を戻そう。

77年のメンバーチェンジは二話連続で香港ロケだった。
主役は新メンバーになる立花警部補と森マリア演じる速水刑事だった。

その中で僅かのカットだが草野が香港マフィアのカラテ使いと戦うシーンがあり、新メンバーの主役回でありながら、古参レギュラーの草野刑事の魅力が改めてクローズアップされたのだ。

これが好評で、半年後に香港マカオロケが前後編で組まれ、その時は草野が主役を張り、あのライバルとなるヤン・スエが初登場したが、この時は草野に首をへし折られ惨敗している。

ヤン・スエは「ボゴ!ボゴボゴ!」と異音を立てる175㎝、100㎏のレスラーみたいな巨漢で凄まじいタラコ唇の悪党顔である。あのブルース・リーの「燃えよドラゴン」他数々の香港映画に出演している大スターなのだ。空手家というよりボディビルダーらしいが、それでも動きは冴えておりさすがカンフーの本場のスターだけある。

その香港ロケとヤン・スエとの再会が倉田保昭のGメンでのアクションスターという本能を蘇らせた。
78年度には香港シリーズ以外にも「ジープに乗った悪魔」や「網走シリーズ前後編」など、「ハードアクションシリーズ」と名打ったGメンのアクションを前面に押し出した企画を生み出させている。

香港シリーズで子供の人気も爆発した立役者として、倉田のGメン75でのポジションは完全に主役級となっていた。元々彼がやってきたアクション俳優としての原点に立ち戻っただけなのであるが、長年非アクションでマンネリ化しつつあった77年に新たに魅力が見直され開花したのだ。

こうなるとGメンの直前時間にやっている「8時だヨ!全員集合」の視聴者である子供達が大きな存在となっていく。倉田はヤン・スエと一緒に78年には全員集合のゲストでコントもやっているのだ。
VHSがない時代だけに今このフィルムが現存している可能性は低いが、かなりのお宝映像なのでもし出てきたときはかなり話題になるだろう。

そんな人気絶頂の中、79年に倉田は突如Gメンを降板する。

前述のようにGメン撮影のハードさで、倉田の武道家としての時間も奪われていたことは想像できる。彼もそんな長年の不満とアクション俳優としての危機感などを覚えたのだろう。降板を自ら申し入れたとされている。

降板に当たり、東映やTBS、そして近藤プロデューサーとの確執があったそうだ。
勿体ない話である。人気があるタレントが自ら降板した場合、干されるケースは多い。
これは色んな分野でもそうだが、逆恨みを買うのだ。この器の小ささが日本の風習の悪いところである。

結果、日本が世界に誇るアクションスター・倉田保昭の30代という全盛期を、権力者が私怨で奪ってしまったのだ。これは日本ドラマや映画界にとっても大きな損失だったと思う。

ことアクションという分野では日本はハリウッドなど世界でも大きく劣っている。
アクションスターは単にアクションが出来るだけではなく、そのルックスも重要な要素だ。
倉田保昭や千葉真一は奇跡的にそのルックスのクオリティーも完璧だった。

カッコ良く、強い。これが子供だけでなく、大人も憧れ痺れるスターなのだ。
私は倉田保昭がもっとアクションドラマで大暴れするところを見てみたかった。

それどころか、時代が時代なら彼の武道家としての腕を生かし、総合格闘家としても活躍できたはずなのだ。70年代はアントニオ猪木が異種格闘技路線をしいており、軽量級のベニー・ユキーデなどが活躍できる場所もあった。

倉田がもし俳優として干されていたのなら、思い切って猪木の門を叩き、リングに上がってほしかったという夢も語りたい。
あのブルース・リーも「もし彼がレスラーになったなら」という記事が74年初頭の「月刊ゴング」に記載されていたが、奇しくもこの直前に彼はこの世を去っていたのだ。

猫も杓子も格闘家やプロレスラーを名乗れるほどリングの敷居が低くなった今日なら倉田の活躍の場はもっとあったに違いない。

凄みも深みもない平成・21世紀のスター達。こんな環境では、第二の倉田保昭が生まれる土壌はない。彼に後継者はない。倉田保昭は倉田保昭一代で終わるのである。

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