「鬼は外!」にはなかなか行かない。鬼は自分自身の中にいるのだ

ロスジェネ世代の叫び

昨日は節分だった。
もう何十年豆まきなんてしてないんだろう。
私の家族がまだみんな一緒に仲良く?暮らしていた昭和のあの頃だったから30年以上前にはなろう。

あの頃はまさか自分の人生がこんなになるなんて夢にも思わなかった。
鬼はまさに伝説や神話の中の架空の怪物以外何ものでもなかった。

しかし人生を重ね、アラフィフになって気づいた。
鬼は自分自身の中にいるのだ、と。

昨日、今日と私は落ちていた。
落ちると何もやる気がなくなるどころか、自己否定の気持ちが一層強くなる。

「こんなダメな自分は消えてしまった方がいい」
「自分が失恋したあの子はこんなダメな俺と付き合わなくて本当に良かった」
「最初から生まれてこなきゃ良かったのにな。俺じゃなくて違う奴が俺の代わりに生まれてくりゃ親も回りも幸せだったのに」

ととにかくグルグルとそういうネガティブな感情が私を支配するのだ。

これじゃダメだ、また襲ってきた!と思っても、孤独の寂しさの状況は変わらない。
こんな時に誰かに電話したって、電話を受ける方が迷惑だろう。
落ちている自分はかなり声も沈んでダークな男だ。

話していても相手が楽しいわけがない。

これは病気というよりも、私の生い立ち、幼い頃に愛情を十分に受けてこなかったのが原因ではないかと色々調べてみて可能性が高いと思った。

元々がこういう性格なのだ。そして環境が更に私をこうした。

運動神経が鈍く、内気でコミュニケーション力が低い私は、いつも家に籠って一人で絵ばかり描いていた。
すると母は「こんないい天気なのに男の子は家にいるんじゃありません!お友達のところへ、お外へ遊びに行ってらっしゃい!!」
と怒るのである。

だから私はずっと晴れの日が恐怖であった。
嗚呼、今日もまた母に怒鳴られ、無理矢理外に放り出される。
近所に友達はいたが、何せこの人見知りの性格だ。

「遊ぼ!」なんて元気よく叫ぶなんてとんでもない。
結局、訪ねる勇気もなく、ブラブラと外で一人で歩いて時間を潰すのである。

そんな私を、運動神経が良くてテニスで知り合った両親は激しく失望し、ことあるごとに私の人格を否定するような叱り方をした。
46歳の今でさえ、運動神経がダメだったことをさらっと会話の中で出されるのである。そのたびに私は自己嫌悪に陥り、幼い頃からのトラウマがよみがえるのだ。

落ちたかと思えば突然、ハイテンションになったりもする。
そう、躁鬱の傾向があるのだ。

この躁状態があってくれたからこそ、ここまで生きてこれたともいえる。
私の躁状態はトークで人を笑わすことが出来る状態だ。
これで「あ、こいつ面白い奴だ。明るい奴」というイメージを他人に植え付けることが出来る。

酒を飲んでもそうだ。
躁状態が一気に爆発し、凄まじい笑い上戸になる。

そうかと思えば、苦手な人と一緒になると途端に口が重くなり、気分が落ちる。

私の中の鬼。
しかし何故、実行に移さないかと言うと、自殺するのがめんどくさいからである。
つまり、そこまで「追い込まれていない」ということだ。

裏を返せばただ単に逃げている気持ちだけということになる。

こうして自己破壊的な気分に支配されながらも実行しない人が殆どだろう。
死んでしまってはおしまいだし、もし死後も自分の意識があったとしたら、全く楽になっている状況ではない。
むしろ、自殺者は浮かばれないなんて言われるから余計苦しむことになるのだ。

話はスピリチュアルな方向に行ってしまったが、私は魂の存在、死後の世界を否定しない。
一度幽体離脱を成功したくてトライしたことがあったが、余りにも集中力がなさ過ぎて、失敗した。
外から見る私とはどんな姿なんだろう、と興味もあったのだ。

鬼は出て行かないな。
否、追い出すのではなく、共存するしかないのか。
鬼もまた役に立つことがあるだろう。

自分の中にある闘争心。毒の部分。
世の中で生きていくには、そういった邪の心も必要になってくるときが来るのだ。

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